元禄時代、将軍徳川綱吉の時代は平和な争いのない時代、生類憐れみの令が敷かれ正に多様な生物共生の時代でもありました。さらに川に流されていた厠の「肥え」を肥料に転換し農業大発展した時代でもありました。米や豆の増産が白米や清酒、菓子、味噌醤油など食文化に繋がり、菜種油の灯明により活動は夜に広がり2度から3度の食事改革も進みました。同時に初代市川団十郎の歌舞伎文化、その宣伝のための浮世絵や版画、シナリオの近松門左衛門や井原西鶴の文学、見返り美人に見られる元禄小袖などの衣裳文化も進みました。主役は町人 尾形光琳や円空それに俳聖芭蕉など元禄文化が花咲いたのです。
八百屋お七や忠臣蔵などの人間ドラマから街道発達や火消しなどの住民組織も推察出来ます。肥えを代表に稲からの藁で屋根や壁土の建築材、灰から釉薬や肥料、蓑や草履などの衣料など多様な活用が図られ、竹や杉皮などの生活用品等まさに自然との循環型社会でもあったのです。持続可能な社会づくりに学び資源の有用活用にも努めていかねばと存じます。