社内報(まごころこみゅにけーしょん)より

Founderより

令和3年 9月1日 まごこみゅ
60周年記念事業の「レガシー」は「ありがとうございます」。

ありがとうございます。
今月1日から中部経済新聞MyWay欄で50回に亘って私の生き方・歩みの連載記事と50枚の写真を掲載していただけます。
コロナ禍の厳しい中で、お断りすべきか悩みましたが、丁度60年の最大の危機だからこそ人生の振り返りも含めてお言葉に甘えることにしました。
 幼少時代からの出来事を思い出しながら、あるいはデリカスイト創立時、50年前からの手帳をひっくり返して悪戦苦闘の数か月間でした(この記事執筆の8月18日でも、まだ39回目まで)
 1961年、南山大学1年の時に、生活費を稼ぐために始めた佃煮の卸売業の際は、軽自動車ミゼットで八百屋さん周りでした。
会社創立前の1970年、佃煮・漬物小売の委託を依頼されました。
名古屋栄養短大(現:名古屋文理大学)で栄養・調理を学び、サラダからおにぎり、揚げ物、ローストチキン、助六寿司、握り寿司、お弁当と現在の品目に近づけて行きました。
ユニー様はじめ、タマコシ・カネスエ・清水屋・ヨシヅヤ等スーパー各社様への出店依頼も受けました。
その間、1971年のニクソンショック、1973年のオイルショック、1985年のプラザ合意による経済のグローバル化、1989年代後半のバブル経済を経て、1991年のバブル崩壊と金融危機、1990年代後半からのデフレ経済等、激動の30年でした。
しかし、2000年までは小売業や飲食業のマーケットは拡大し、当社も成長を続けられました。
ところが、2000年以降、ガラリと大転換、危機が襲い始めました。
金融危機も長引き、2001年9月のNYテロとマイカルの行き詰まりやBSE、そして2004年・2005年にはヤナゲン・タマコシ・名鉄ストアが姿を消し、デリカスイトの店も一挙に50店が蒸発の危機を体験しました。
その間、キッコーマンデリカスイトの5年間の「くいしいん坊 万才!」、2000年JR東海名古屋駅出店とその後のお取引、2007年からは11年間の「なだ万」OEM事業。
2009年のウオフクの事業承継と2010年の水了軒復刻で売上は増大して行きました。
更に、2008年のリーマンショック、2011年3月11日に発生した東日本大震災と福島第一原子力発電所事故、2014年4月1日から消費税増税の施行と税率が5 %から8 %に、2019年には10%(食品8%)に。
ユニー様の「ユニー・ファミリーマート」で、イオン様、ららぽーと様、IY赤池様への美濃味匠出店が可能になりました。
2019年、ひら井、蔦茂、槌谷のグループ入りと、直後の今回のコロナ禍です。
最大の危機には違いありませんが、遅くとも半年・1年後にはきっと克服できる!周りを見まわすと、ヤナゲン・タマコシ・名鉄ストア・川口屋・トミダヤ各社様が消滅。
ユニー様さえドン・キホーテ様の傘下に。
幸い、デリカスイトは踏ん張っている。ここまで、堪えられた最大の因は、デリカスイトをはじめ、ウオフクや水了軒、新しいグループで働いていただいている皆さんの頑張りのお陰でしょう。
何で繋がっているのか?共通のものは?
きっと「社是」とともに、感謝を忘れないための「ありがとうございます。挨拶」ですね。
60周年記念事業の最大のレガシーは「ありがとうございます。挨拶の再確立」コロナ対策で、充分挨拶ができていません。
なんとか、日本一の明るい挨拶のこだまするデリカスイトグループを!各グループ会社の社是もそのままで結構ですが、デリカスイト社是の唱和も心よりお願いします。
「必要・必然・ベスト!思いは実現する」幸せ実現の秘密の言葉「ありがとうございます」励行を。