社内報(まごころこみゅにけーしょん)より

Founderより

令和3年 7月1日 まごこみゅ
DNAとブランド磨き、アフターコロナに知恵を出そう

ありがとうございます。
本年創業60周年、会社創立時の手帳を読み返しています。
法人化前の1970年に美濃加茂市太田駅前「太田ストア」(後に名鉄ショッピ)と「ヤナゲン大垣」へテナント出店しました。
1972年に大垣店で日本初の惣菜セルフ販売に切り替えました。
それまでは販売ケースで対面販売。
お客様がガラス越しに揚げ物をみて、そのコロッケをください!方式でしたが、トレイにコロッケを5個いれてラップ掛け、お客様に揚げたてのアツアツが伝わりました。
大好評!1973年9月9日メモ。ヤナゲン入店、売上44.7万円(4名)の記録です。太田店アルバイト1日1400円のメモ書きもあります。
まさにブルーオーシャンです。
1975年に社是やデリカスイトのスマイルロゴ制定。
1976年方針として、デリカテッセン専門企業の基盤づくりを!掲げました。
そのために「ブランド」育て!をと
1978年寿司専門コーナーのデザインメモが見つかりました。
【すしやSUN】ラフ案です。 (確か、当時は【水車すし】をつかっていましたが平凡なのでいろいろと描いていましたね。
結局は1980年ユニー江南店で本格的にぎり寿司【すし貴族】、後年、鵜沼ヤナゲンや知多での【鮨河岸五誓】に至っています。
馬鹿売れのローストチキンは【チキン博士】、そのほか【おにぎり太郎】【サラダデース】【ひだぎゅう亭】等々。
【芭蕉むすび】地酒とだしで煮込み、パカっ口を開けた桑名大蛤をハツシモご飯に握ります。
商品名は【蛤のふたみに別れゆく秋ぞ】、2020年日経新聞1面にカラー記事に掲載。桐箱に3個入り2500円でしたね。
奥の細道の旅先の食材とお米で名句の商品名。
知的に美味を満喫!名古屋丸栄で出店しましたが地下2階ハンデで撤退。
更に、1982年5月7日店長会議では「高級感ある専門店」と「大声あいさつ運動」を提唱しています。
1986年頃はうどん・ラーメンの麺遊膳、お好み焼き・たこ焼きの童子茶屋、クレ−プハウスも数店挑戦。
パンのキャピデロなど数々体験しました。
牧野仙一さんの天日干し米、龍の瞳も楽しみました。
これからこそ、高級化、専門店化、ブランド力強化は大きな課題です。
DNAを活かそう。
ウオフクからの鮮魚やだし巻きたまごのDNA、水了軒の消費時間やさめてもおいしい駅弁DNA。
(株)キッコーマン・デリカスイトのビュッフェデリカ、なだ万さんとのOEMコラボ。
そして、ひら井・蔦茂・槌谷さん老舗には、ぎっしり豊富なDNAの宝庫です。
ワクチン接種が進んでいます。
過去の歩みから、あらたなご縁の数々を活かして、アフターコロナ社会へ新たな提案を。
高級感ある専門店の夢=
大豆ミート(植物たんぱく)・生態系まぐろ料理・から揚げ・鰻料理・無塩うどん・十割そば・(烏骨鶏入り)だし巻きたまご・天ぷら料理・おむすび・チキン博士・かに・飛騨牛etc