社内報(まごころこみゅにけーしょん)より

Founderより

令和3年4月1日 まごこみゅ
創立60周年に思う―次々と荒波に襲われ乗越えてきた60年
( 1.:よい運 @:危機 で番号づけ )

ありがとうございます。
新型コロナウイルス!創業以来最大の危機を迎えた中での60周年です。
何とかしてV字回復を果たしたいものです。
危機だからこそ新たなことに挑戦してゆきましょう。
全ての危機にも運の女神がほほ笑んだ。
1.創業してよかった。その頃、主婦の店が出現。
当時は食品店、八百屋さんが主流の時代、大手の佃煮メーカー(カネハツ様)等はスーパーマーケットとの取引に応ぜず、零細の私に取引いただけるチャンスがありました。
@セルフサービスレジのスーパーの販売力が増すにつれ、大手も参入、零細の私は苦しい立場、小売に転向を決意。
2.ヤナゲン食品フロアへ出店。
A金なし・人材なしでしたが、幸い大垣共立銀行様から500万円(保証金担保)初借入。
働きながらの岐阜経済大学同級生にバイトを依頼、順調な売上で会社を創立。
B1973年オイルショックでは、プラスチック容器が5倍ほどに暴騰、手当に奔走しました。
1974年の消費者物価指数は23%の狂乱物価。
3.ユニー様から尾西ユニー店のお誘いを頂き初のご縁に。
1985年のプラザ合意=円高で内需拡大を進めた結果、1986年12月から1991年2月まで資産価格(地価)が上昇、バブル景気、マハラジャなどの社会現象が華やかに。
景気良くても、惣菜消費には反映されないし、採用が出来なかったことが思い起されます。
C1980年代、スーパーが惣菜直営化を始めました。
売場が無くなる!専門店化を進めねばと強い芽生えが!
4.バブル前夜の1985年に大垣信用金庫の本部ビルを購入、懐石美濃味匠と「スイテック」情報産業参入は良かったのか?懐石美濃味匠(BAR「With-SUITECH 吉武さんがバーテンダー)のTV放映も多かったですね。
1989年名古屋パルコ様からお誘いを受け、懐石弁当と駅弁VAN(2日前受注で全国駅弁買える仕組み)。
時代に先駆けましたが、パルコ食品館の誘客が不調で1995年閉鎖されました。
同月にメルサをOPEN。
専門店への夢をD1993年の米不足緊急時でも5.国産米にこだわりファンが増えました。
E1997年コンビニベンダー化学調味料条件を拒否し6.無添加、無着色、無化学調味料の強い思いが固まりました。
1997年にはキッコーマンデリカスイトを合弁設立F2002年解消。
7.くいしん坊、万才!で25店25億円売上。
ビュッフェスタイルの美濃味匠に繋がりました。
専門店への道をずーーーーと夢見てきました。
8.2000年JR名古屋駅との縁。2002年日経新聞に「芭蕉むすび」写真付きで掲載。
桐箱3個2,000円(酒だし汁で大蛤を煮て、ガパッと開いたところを、手むすび!)
G2001.9.11のNYテロ。9月10日千葉で狂牛病発見(BSE)、9月14日マイカル民事再生。
マイカルから退店。
2001年2月から7月までNYを体験しデーンデリューカスや9.MANJA(イタリアンデリ)に出逢いOSOZAi+CAFEやバル美濃味匠に至りました。
コロナで苦境な業態ですが、昇華したスタイルの再構築を考えましょう。
2000年の大店法廃止・出店自由化により、郊外に大型スーパーが乱立、H2004年ヤナゲン(名鉄ストアもオークワ傘下)、2005年タマコシ(平和堂へ)が破綻、当社も数十店の退店を余儀なくされました。(2006年大垣が本社の川口屋、2015年トミダヤもコノミヤへ)。
2019年1月には、ユニー様さえもドンキ様傘下に。
2008年9月リーマンショック、自動車関連が大打撃の様相でしたが、当社には大きな影響はなかった記憶です。
その2年前より京都大学大学院に通い11月に出版パーテイを開催、規模を半分にしたことを思い出します。
Iその後の金融危機では銀行の「貸渋り・貸剥し」、10.幸い大垣共立銀行様と、中小公庫様には感謝です。
J1994年の消費税3%、1997年5%。コンセでは、自動的に消費税を代行徴収、影響少なし。
2014年の8%からの総額表示では値付けに大失敗、大幅減益の苦い思い出です。
2019年にも10%(テイクアウト除外)。
K2011.3.11東北大震災。原発事故もありました。
そして今、最大の苦難「新型コロナ感染症・緊急事態宣言」何としても乗り切りたい。
11.専門店化に向けて、ひら井・蔦茂・槌谷の皆さんとの縁が出来、専門店化に向けての資質と条件は十分手にしました。
12.受発注WebEDIやロボット化RPA、NET販売、高級料理のテイクアウトや宅配、SNS誘客システム、60周年記念セール、五感に訴える商品企画などなど、成功させましょう。
『私の60年の歩み』発刊も予定しています。危機こそ次の時代へ向けてのチャンスの時、頑張りましょう。