●2019年7月1日号
ありがとうございます。
前月より続き…
2004年タマコシ様が民事再生、2005年にはヤナゲン様が、両社ともに「平和堂」傘下になりました。
・・売上債権で大損しましたが、それより、平和堂様は、自社でデリカ会社「ベストーネ」を運営されており、ヤナゲン・タマコシの惣菜売場の直営化は必至に思えました。当時のデリカスイトにとっては30数店舗が一挙になくなり売上激減はさすがにこたえました。
しかし、平和堂の夏原平和社長とは30歳代、日本青年会議所時代の友人でもありましたので、寧ろ当社から退店を申し出、直営化に協力しました。(その後、取引は鶴見平和堂テナントのみですが、非常に良い関係を持たせていただいています)駄目なものは、諦めること!と。
でも、「捨てる神あれば、拾う神あり」。
2005年愛知万博に合わせてセントレア空港が開港、幸い「美濃味匠 旅処」が出店出来ました。(その後「きしめん美濃味匠」11年間営業、改装のため閉鎖)2006年にはJRの尾張一宮、大垣、岐阜(その後年、津や多治見)の各駅にイートイン付の「OSOZAi+CAFE美濃味匠」を出店させていただきました。(2000年ニューヨークのイートインのあるイタリアンデリカテッセン「Mangia」に惹かれイートイン日本料理版を夢見てきました)また、この年には「なだ万」様のOEM契約、養老SA の高速道路”速弁”指定、あるいは、IT経営百選 最優秀受賞に選ばれたものです。
バブル崩壊後の数多くの流通企業の破綻は、1985年プラザ合意を起点にしたグローバル化を知っておれば、防げたはず!と気づきました。
では、学び直そう!と2004年61歳で岐阜経済大学の大学院に入学しました。
自宅から10分、講義・ゼミは午後6時から、鈴木誠氏(現愛知大学経済学博士)や渡邊明氏(当時三重大学教授)、竹内治彦氏(現岐阜協立大学学長)に、本当に丁寧に指導いただき、楽しい研究生活を体験しました。
2006年3月には、粗々の修士論文でしたが修士取得。
日本地域経済学会や京都大学地域経済研究会などで発表の機会を得て、岡田知弘先生とのご縁に繋がりました。
2007年から京都大学大学院 岡田知弘先生のご指導の下で研究生に。
1週間に2日ほど京都大学に通い、そこで学びながら『郷土力を活かす市街地再生のまちづくり』~地域内再投資による芭蕉元禄ミュージアム回廊構想~を文理閣から出版に至りました。
セイノー情報サービス様のお力で県近辺の三省堂書店ではその本がどーんと平積みで販売されており感激でした。
リーマンショック(2008年9月15日)直後の10月30日の出版でした。
大学とのご縁で2004年から岐阜経済大学はもとより、東海学院大学、岐阜大学、滋賀大学等でも非常勤講師を、現在も岐阜協立大学・客員教授を担っています。
出版の目前、2008年4月に代表取締役社長を堀富則さんへバトン、私は代表取締役FOUNDERになりました。
2009年ウオフクの鮮魚・惣菜27店を事業承継(2011年8月、鮮魚から撤退)、多くの社員様も当社に移籍いただき、今日ご覧の様な大活躍!いただいています。ありがたいですね。
良いご縁、やはり異種多様な組み合わせが良かったですね。
2010年7月には大阪の老舗駅弁「水了軒」が倒産。
お話をいただき駅弁工場と商標を譲り受けました。
JR西日本駅の販売拠点を失った中からの苦しい9年間でしたが、昨年の阪神大地震では地域の方に喜んでいただけましたし、本年7月半ばにはJR西日本様の駅内販売もスタート出来そうです。
明るい展開、楽しみです。
その間、社会にいろんな事件がありました。
「ミートホープ、白い恋人、赤福、船場吉兆、中国冷凍餃子中毒事件、飛騨牛等級偽装、事故米偽装、新型インフルエンザ、宮崎口蹄疫、ユッケ食中毒、原発放射能汚染、ギリシャ金融不安、尖閣諸島で中国の反日デモ」等、食品の安全の危機の平成だったような気がします。
が、そんな対策の中から、食品安全基本法、健康増進法 岐阜県食品安全基本条例、食育基本法が、2009年には消費者庁も発足、昨年にはHACCPを義務化する改正食品衛生法、今年は食品ロス削減推進法も成立、社会全体として良い方に向かっているのでしょう。
波乱続きのデリカスイトの歴史「人間万事塞翁が馬」。
またもや頼みとしてきたユニー様に大変革が起きました。
以下、続く。