●11年9月1日号
「大垣」と「大崖」
ありがとうございます。
小池真理子の小説(2009年11月から日経新聞夕刊の連載)『無花果の森』の一節に「岐阜大崖」が出ています。
・・・・泉は、東京から新幹線で名古屋まで行き、名古屋で快速列車に乗り換えて岐阜大崖という駅で降りた。さびれた地方都市の中心地にあるホテルに、泉は「高田洋子」という偽名を使ってチェックインしました・・・・新谷泉はホテルを出て、岐阜大崖のさびれたアーケード街を歩いていました。岐阜大崖の商店街も衰退が進んでいます。定休日でもないのにお店の「三軒に一軒はシャッターが閉じられたまま」。廃墟のような街だ、と泉は思った。そこそこ清潔で、目につく汚れはなかったが、街は明らかに死んでいた。生きものの匂いがしなかった。・・・・大崖の街は、美濃路に位置、街の中心に大崖城がある。外堀は、近くを流れる大崖川の支流を利用して設えられていた。堀端には緑の並木道が続き、そこだけ見れば小京都のごとき佇まいだったが、立ち並ぶ建物におしなべて風情がないせいか、目をひかれる風景とは言いがたかった。
ガイドブックには、人口十五万数千人、とあるが、にわかには信じられなかった。人間が暮らしていくために必要とされる機関や施設がすべてそろっているとはいえ、住民の姿がほとんど見られない、というのが不思議だった。何か得体の知れない恐怖に怯えて人々が家の奥にひきこもり、じっと背を丸めて暮らし続けているのではないか、とすら思われた。……一部、大垣?の町の抜粋です。
小池氏は、日本で最も寂しい町の舞台に、そして、そこから始まる新たな人生の起点地に、「大垣」を選びました。
? 7月の農水大臣賞授賞式の際、来賓席で京都の「美濃吉」社長佐竹力総様と隣席しました。早速、美濃吉さんのご出身の地は何処ですか?と尋ねました。すかさず「美濃大垣」です、縁者が今も「静里町」におりますとの答えられ、「京都には140軒ほどの美濃の名を冠する店があり美濃大垣を源にしているようです、と誇らしく語られました。
京都の老舗に多くの人材を輩出できた「美濃大垣」なのだ!と嬉しく感じました。
? 明治大学の藤江昌嗣教授が『地域ブランドのコンテクストデザイン』同文館、2010 で、私の著『郷土力を活かした市街地再生のまちづくりー地域内再投資による「芭蕉元禄ミュージアム回廊構想」』文理閣、2008を紹介。美濃大垣は美濃国と美濃路の大垣宿の組み合わせの中から生まれた地名であり、大垣城の城下町としての歴史と中山道と東海道を繋ぐ脇街道、美濃路の宿としての歴史を併せもち、水都でもあり、陸路と水路ー街道と舟運ーの宿・湊としての歴史をあわせもつ。奥の細道の結びの地としても良く知られ、他でもない芭蕉が「美濃大垣」と呼んでいる。水都・結びの地を起点としたスローライフブランドとしての「美濃大垣」である・・・等々大垣を自然単位(歴史・文化)エリアにゾーニング、モノ語りコンセプト(名所)の交差地に位置づけてまちづくり論を薦めておられます。
大垣にとり、夢と確信を得られる著書です。
小池真理子氏の負の表現を奇貨としつつ、佐竹社長や藤江教授からまなび、100万人の旅人を迎え、300万人がさわさわそぞろ歩きする芭蕉元禄回廊を目指して、中心街再開発事業や観光・交流産業事業を担わせていただいています。
?キーは、皆さんと手を携え、他の町には出来ない特有を徹底的に伸展させることに尽きるようです。
それは、デリカスイトの今後の道も同じですね。
長所を活かす、それも、生半可ではなく、他に遥かに超越する長所にまで構築すること。ぜひ実現に向け 進みましょう。
大垣もデリカスイトも、過去の歴史の中で醸成されているはず。。
健康・健脳に向けて、大きな責務を戴いている。天命を果たせることこそ良き人生、キラリ人生を進めよう。
―私はできる、なんでもできる。だんだん良くなる。ぐんぐん良くなる―