社内報(まごころこみゅにけーしょん)より

Founderより

●11年3月1日号

割烹弁当と伊藤博文

「春もやや気色ととのふ月と梅」元禄6年(1693年)春、芭蕉50歳の句。
ありがとうございます。
厳しい寒さの今冬でしたが、いよいよ、春の気色がととのってきたようです。
さて、創業50年のデリカスイトも 今年こそ、春を迎えたいものです。

幸い、2月15日の水了軒の復刻では、関西のメディアで数多く発信され大きな反響もあったようです。これを契機として、「割烹弁当・水了軒」を大きく育ちあげたいものです。

昭和5年(1930年)1月20日朝、水了軒初代の姉、松塚登代さんが亡くなられた。翌日の21日付大阪毎日新聞に以下の記事が掲載されました。
「明治20年(1887年)、時の内閣総理大臣伊藤博文が来阪し、造幣局泉布館で催された歓迎晩餐会で登代さんと出会う。
翌、明治21年(1888年)弟の孫三郎が大坂停車場内で井戸水に蜂蜜を入れ水飴と称して販売を始める。
屋号の「水了軒」は、水を売る店とも、水のように自由に形を変える店という意味を込め、伊藤博文から賜ったとも伝えられている」と。

伊藤博文という歴史上の大偉人が名づけ親!という秘話を持つ「水了軒」ブランドです。大阪の人の思い入れは相当なもののようです。
あるブログに「水了軒の八角弁当が復刻!ありがとうデリカスイトさん」のタイトルで日経新聞記事を載せてありました。大阪人が「ありがとうデリカスイトさん」と言うほど、喜んでおられる、ありがたいことですね。

期待されての復刻です。近年使用していた冷凍食材をやめ、10年前の「生の食材」に生き返らせての本格復刻です。なお一層、本物志向を進め、大きな柱に育てあげましょう。大阪近辺の主要駅や駅ビル・デパートで、「割烹弁当・水了軒」が身近にお買い求め戴ける体制を構築しましょう。

「割烹弁当」こそ、デリカスイト全体が掲げるイメージに合致しますね。浪速で確固たる拠点を打ち立て、いずれかには、中部地域で、そして東京で、こうした「割烹弁当」「割烹料理」を広げていきたいものですね。

さあ、こうした流れにあることに感謝して、既存全店でも、一歩一歩、ブラッシュアップを進めましょう。
「ありがとうございます・挨拶」とともに、春風の吹くような、すがすがしい店や職場を創り上げたいものです。