社内報(まごころこみゅにけーしょん)より

Founderより

●10年8月1日号

歴史から学び“生かす”こと!

ありがとうございます。
17日、関西地区の大手新聞各紙にデリカスイトの活字が踊りました。
WEBで検索してみると、以下のような見出しで、概ね好意的な記事になっています。

産経新聞:駅弁伝統ブランド「水了軒」継続 岐阜の会社が商標取得
朝日新聞:「八角弁当」商標と工場、岐阜の業者が取得 (・・「八角弁当」で親しまれてきた駅弁が復活する見通しになった・・)
読売新聞:「水了軒」ブランド守った・・・岐阜の総菜会社、6億円で取得
毎日新聞:水了軒:老舗の名前復活 岐阜の業者が商標取得

どの新聞記事も「岐阜のデリカスイトという総菜会社が、商標を守ってくれた。名前や駅弁の復活を期待」という論調です。
ありがたいことですね。大阪周辺の人たちにとって「水了軒」ブランドは、大事に残したい”文化財的駅弁”なのでしょう。

この取得には、不思議な縁を感じています。
名古屋地区百貨店向けで実行しています”料亭弁当”のOEM納品を、京阪神地区でも展開してほしいとの要望を受け、貸工場を探しておりました。
一度、内定した物件はあったものの、決定に至らず、秋以降の立ち上げに間に合うのか悩んでいた処に、入札参加のお誘いを受けたものです。

入札に際しても不思議なことが起きました。通常入札価格の高い順に、交渉権を得るのですが、当社は3番目の入札価格だったのです。
当然、1番・2番の高価な入札会社に決まるはずのところ、担当者の手続きミス等の理由で、当社に機会が回ってきたのです。
本当に不思議なご縁です。

きっと、大自然の思いが、デリカスイトに縁を迫ったに違いありません。
ありがたいこと!と素直に受け止め、これを”活かす”ことに全力をあげたいものです。

「水了軒」の創業前夜をHPで調べてみると
・・・昭和5年(1930年)1月21日付大阪毎日新聞によると・・・・・・(略)・・・・
翌、明治21年(1888年)弟の孫三郎は大坂停車場内で井戸水に蜂蜜を入れ水飴と称して販売を始めますが、屋号の「水了軒」は、水を売る店とも、水のように自由に形を変える店という意味を込め伊藤博文から賜ったとも伝えられています。・・・・

なんと伊藤博文の名づけのようですし、”水”の縁もあるようですね。

デリカスイト、間もなく50年の歩みです。
昨年は、ウオフク100年の歴史への思いを戴きました。
お取引の老舗料亭会社のトップからは180年の歴史をお聞きしています。
(1919年、西園寺公望侯爵・・12・14代の総理大臣・・に料理人として同伴。パリ・ヴェルサイユ宮殿)そして、また今回の120年歴史の縁。

これら、歴史の思いから、学び、生かすこと(活かすこと)、活かすすことへの、強い志を持ち、実現したときにこそ きっと縁ある皆さんから 喝采をえられるはず。

浪速の地で、知多の地で、美濃の地で 必要とされ 望まれる イキイキ企業に向かおうよ。
122年の老舗駅弁会社の【水了軒】