社内報(まごころこみゅにけーしょん)より

Founderより

●09年5月1日号

本物料理を低価格で・・

ありがとうございます。
「イオンの反省」3月19日朝刊の全面広告に驚きました。
リーマンショックに端を発するグローバリゼーション不況の中で、「世の中の変化に対応できず、お客様を見失っていた、売り場には欲しいと思える商品が並んでいませんでした」という謝罪とそれを乗り越え徹底的に安く売りますと宣言しました。どの流通大手もPB商品を武器に値下げ競争に突入の様相です。
その世相の中で、価格競争に勝つには並大抵ではないでしょう。超低コスト体制に創り直さねばならないでしょう。もちろん、安ければ買って戴ける時代でもないようです。

38年の社史の歩みを顧みてみましょう。
創立前のヤナゲン数店の―家内工業的経営時代に、林町アクアウオーク近くの狭い調理場で、夫婦と近所の主婦パートさんによるいなりすしや巻きずしからセンターキッチンを始めました。しかし、手作りそのものであり、おいしさと値打ちさで大きな支持を勝ち取りました。
72年・創立時の歩行町の期間には、総菜のセルフ販売方式を国内初採用し 買い易さと低コストを先取りしました。揚げたてコロッケなどのセルフ方式は、お客様の手でアツアツ感を直接感じて戴け、フライヤー3槽でも追付かないほどの大きな売り上げに繋がりました。また、惣菜やサラダ等の自動包装機を先がけて導入、73年のオイルショックによる狂乱物価の中でも低価格・売上急増を実現できました。
その製造能力が限界に達した74年、築捨本社工場(現ユタカドラッグの場所)新築によりチェーン店への物流拠点が完成、炊飯機導入により、効率は高まり、お値打ち販売を維持しました。
実演ロースターによるローストチキンなどアイテムも増えていき、ユニーさんからの懇願もあり、尾西店で初出店の縁を戴きました。
それを機にユニーさんの店も増える中、高蔵寺の店でにぎり寿司コーナーが加わりました。寿司は寿司専門のお店で食べる高級な料理という時代でした。すしを握るという特別な技術者を急遽お願いして参入したものです。江南のユニーで「すし貴族」をOPEN。握り7貫と細巻きの窓付き紙箱で確か280円で発売したところ、爆発的な売上ができました。その後、寿司米飯が全社売上の60%超まで急伸してゆきました。
86年大信ビルを購入して懐石料理「美濃味匠」を開設、89年の名古屋パルコ出店を契機に92年のメルサ美濃味匠に繋がりました。このころから、高品質への挑戦が始まりました。
93年おいしさセンターが完成し自動連続炊飯システム導入など高品質化と効率化を進めました。97年から01年まで、キッコーマンと合弁会社を共有して「くいしん坊万才」を指導展開し、25店ほどのチェーンに育てました。
99年には松坂屋ストアに出店、2000年にJR名古屋駅店、06年には初の業態「Osozai-ya美濃味匠・一宮アステイ店」創りました。その間、01年には本部を加賀野に移転して、思い切ったリストラを進めました。
05年にセントレア、06年には、「なだ万」様や「速弁」とのご縁が結ばれました。こうして品質向上の一歩いっぽを進めました。

国内最高レベルの「なだ万」技術と、デリカスイト・美濃味匠の良さを融合させ「美濃万」開発も好評です。今後も、非日常の料理として40歳以上の男女客層に更に進化させて行きましょう。
今は100年に一度の世界同時危機!。特に日常の料理として平日昼食には冒頭の低価格潮流は大きく影響受けるでしょう。この解決には、「低コスト化と高品質とを併せ持つ」革命的業態に挑戦せねば生き残れないでしょう。
「本物料理を低価格で・・売上伸びて利益も上がる」その道は 自分達の手の中にあります!
いよいよ「私が思い、私が変える」時が・・・。