-----真理さんへ-----
●花見とカセットテープ
箕浦 多佳雄
垂井・浅倉公園にて
  
 平成五年春。
 この頃、堀君とはあるプロジェクトで一緒に仕事をさせて頂いておりました。
男性は私を含め二人、女性は彼女を含め五人。彼女にお願いしていた仕事は、パソコ
ンで動く表計算ソフトの『EXECL』でのマクロ作成です。この仕事は彼女自身、非常
に積極的に取り組んで頂き、その成果は優秀でした。その証として、マイクロソフト
社が認定する「マイクロソフトオフィシャルトレーナー」の資格を、セイノー情報
サービスでは一番最初に取得しています。彼女の積極さとは裏腹に、このプロジェク
トは思うように進みませんでした。
 そんなある日。
 「花見やりません?」と彼女からもちかけられ、私をはじめプロジェクトメンバー
はもちろん、周りで仕事をしているみんなも賛同し実施されました。(後日、ある管
理職が俺は誘ってもらえなかったとグチをこぼしていましたが・・・。)買い出しの
役割など決め、彼女の与えられた役は、「つまみ調達役」の中でも「揚げ物担当」で
した。当日、広げられた「つまみ」を見て、参加者みんな、「エーッ?」フライドポ
テト、フリッターをはじめとする揚げ物が勢揃いする中、コロッケがあったのですが、
油の温度の加減が悪かったのかどうか分かりませんが、真っ黒に揚がっていました。
「ちょっと失敗したんや。文句言うなら食べんといて!」
 彼女らしい(?)強い発言で、みんなひるんだのか、気を使ったのか「おいしい」
「オイシイ」なんて言いながら食べたように思います。この日は風が非常に強くて、
春という季節から考えると信じられないほど寒い一日でした。そのためか、ビールの
減りが大変にぶかったのですが、彼女はよく飲んでいたように思います。あの頃の彼
女の笑顔を、今写真で見ると胸に熱いものを感じます。
 この花見とは関係ないのですが、彼女との雑談の中でこんな事を言っていたのを思
い出します。
「昔、テレビドラマで放映されていた 赤いシリーズ で、山口百恵が白血病で若い
生涯に終止符をうつというものがありましたよね。私それを見ていて、私も二十歳に
なったら白血病で死ぬんだ、と思い込んでいたんです。でも、もう二十五歳になっ
ちゃって。おかしいなー、もう死んでなきゃならないのに・・・」
 その時は、まさかこんな事になるなんて夢にも思っていませんでしたから、笑って
いたんですが・・・。

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 毎日の車通勤は単調で、カセットを聴いて運転をしているのですが、それも同じ
テープばかりで非常に退屈でした。ある日、彼女がシングルをCDレンタルショップか
ら借りて最新ヒット曲を中心に編集したオリジナルテープを作成している事実を知り
ました。「これは!!!」と思い、「手間賃を払うから僕のも作ってくれない?」と
お願いすると、快く(?)引き受けてくれました。二、三本作ってもらった後、私が
「商売しない?会員を募って毎月一回オリジナルテープを販売すれば、レンタル料は
もちろん、さらに小遣い稼ぎができるんじゃ・・・」(全くの違法行為です。)結果、
会員は八人。彼女は選曲し、テープ作成係。私はカセットレーベル作成係。これは彼
女が亡くなるまで続きました。
 最後のテープは'96年一月のベストセレクションです。私はZARDが好きでよく聴く
のですが(彼女もよく聴いていたように思います)、この最後のカセットテープに
は、ZARDが歌う『マイフレンド』が収録されています。お葬式の最後のお別れの時、
「故人が大変好きだった曲をおかけし、おわかれを・・・」で流された曲の一番最初
が、この『マイフレンド』。(というか、彼女が最後に作成したテープがかけられた
のですが・・・。)私はあの時、あのイントロを聴いただけで涙がドッとあふれまし
た。正直言って、いまだにあの曲を聴くたびに彼女を思い出し、胸に込み上げるもの
があります。
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