社内報(まごころこみゅにけーしょん)より

Founderより

令和4年 5月1日 まごこみゅ
50年を振り返る第4回。
2000年 21世紀の激動 出会いに恵まれありがとう、導かれつつ又一歩。

ありがとうございます。
2000年は、惣菜業ができてから30年、惣菜が産業として認められた年なのでしょう。
アールエフワンが東証1部、カネ美食品がジャスダック、デリカスイトも私募債発行した年でした。
その年は、ユニー4店、名古屋メルサ、マイカル2店、八王子・南大沢、名鉄パレ、西友長浜、清水屋本店、ヨシヅヤ津島それにJR名古屋駅に13店のOPENでした。
売上もここから6年間ほどは60〜65億円が続きます。
2001年も10店のOPENでしたが、あの「ニューヨーク9.11」の日に、茨木マイカルが民事再生に、後半に富山、一宮など4店を退店しました。
そう言えば優悠会という会で「岐阜のひら井」へ年2回(6.22と10.16)行き始めました。
ご縁の始まりですね。
その頃からOKBさんが主要取引先との昼食会をスタート、2004年から夕食晩餐会に変わりましたが、現在もお招きいただいています。(何社かは消えています、感謝ですね)
2002年は芭蕉むすび5店をはじめ20店ほどのOPENと4店の退店。
キッコーマン・デリカスイトとトラベルナウジャパンからの撤退という衝撃の年でした。
そんな大事件もあり創立30周年は翌年2003年4月14日、マリオットホテルでの大パーティ(4月22日には、大垣フォーラムホテルでお取引先様とのパーティ)延期としました。
2003年は食品安全基本法と健康増進法が成立の年でした。
ユニーの西川俊夫邸に招かれ、ご夫妻と堀夫婦とのお食事!良い思い出です。
7月に土屋斎名誉会長がご逝去、8月に土屋嶢頭取の10周年が強い記憶です。
個人的に「芭蕉元禄構想」を策定、大垣商工会議所の食品部会長として、「芭蕉水豆腐」「芭蕉水御膳」の開発、そして観光協会として「水門川たらい舟」の実行に結び付けて行きました。
2004年には、小川市長に「芭蕉元禄事業」を提案、採択頂きました。「芭蕉元禄の町 大垣」に向けてGO!
社長交代(65歳と)も考えていたので、岐阜経済大学・大学院で経営学を学び直そうと入学しました。
地域連携推進センター開所のパネルディスカッションのパネラーで「岐阜経済大学の市立大学化構想」を提言。
もうそろそろ結果に結び付けたいものです。
翌年からは「食環境論」非常勤講師の委嘱を受け、教壇に立ちながらの研究に入りました。
大激動とはこのこと!6月に、タマコシが民事再生。平和堂東海に変わりました。
2005年、今度はヤナゲンも平和堂東海の傘下に。
本来は、粘ってテナント継続を訴えるのも1方法だったのでしょうが、平和堂の夏原平和社長(昨年12月にご逝去)とは、日本JC出向の彦根の友人関係で、良くお酒もご一緒の間柄でした。争いたくない良い人でした。
平和堂は「ベストーネ」という惣菜の子会社が惣菜売場を運営していました。
なので諦めて、私の方からタマコシ・ヤナゲンの全店退店を申し込みました。
お陰で、それ以降も良い関係でした、正しかったのかな。
更に名鉄パレさんが(株)パレへと。
新改装16店、パレ退店も含めて50店ほどのお店が消失したのです。
相当、落ち込みましたが救いの神も登場。
この年「愛・地球博」に合わせて、開港したセントレア空港に「味どころ美濃味匠」OPEN。(後に、きしめん美濃味匠に転換、11年間お世話になりました)
また、ソフトピアジャパンとの共同研究で「e-健康膳@HMR」も構築しました。
OSOZAi+美濃味匠のビュッフェスタイルのNET版です。
好きなメイン料理、好きな副菜、好きなご飯、好きなデザートを選びとテディスプレイの弁当画面に色鮮やかに弁当写真が浮かび上がる。
確定キーで価格とカロリーや栄養素が表示される。食事履歴も記録され栄養指導にも役立つ優れものです。
受注予約を宅配システムと結びつけたため、不採算で頓挫したようですが、店での受取り方式にして再現してほしいものです。

 


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