-----スノーボーダーはどこへ行く-----
  
●日本のスノーボード環境
 1995年頃から、ウインタースポーツの王者であったスキーに翳り
がみえはじめた。スキーを楽しむ人は減少傾向にあり、年齢も次第に高
齢化しているようだった。この減少傾向はスキー産業に大きなダメージ
を与えることになった。用具の売り上げ不振、スキー場のお客の減少、
ホテル、ペンション、民宿の宿泊客も減少し、日本のスキー界は「バブ
ル経済の破綻」と無縁ではありえないことを思い知らされた。
 こうした、暗い話題のなかで、スキー界の唯一元気の素となったのが、
若者たちを中心に人気がではじめたスノーボードというスポーツであっ
た。「サーフィン」や「スケートボード」といったスポーツの流れを汲
むアメリカから発信された若者文化として、ヨーロッパ、日本でもブー
ムとまではいかないが、確実にその人気は定着してきたようにみえる。
スノーボードの専門誌も数を増やし、スキー専門店がスノーボード専門
店に衣替えするところもでてきた。
 しかし、スノーボード人気がスキー産業を救うことができるのかとい
えば、まだそこまで成熟したスポーツとはいえないのが現状ではないだ
ろうか。
 スキー場にスノーボーダーが少しずつ姿を現わした90年代初頭、彼
らはリフトも使わず、ツボ足(靴のまま)でゲレンデを登りコースに穴
をあけ、コースの真ん中にしゃがんで休む。彼らのこうした行動にスキ
ーヤーから非難が集中した。
 スキー場管理者はリフトも使わず、レストランも素通りする(近くの
コンビニで昼食を用意してくる)彼らは何の利益ももたらさないやっか
い者として排斥しようとした。また、スノーボードは滑りの基本運動が
スキーとは異なるので、スキーヤーとの接触事故が多発した。後ろから
滑ってきたスキーヤーの予測とは異なる動きをするからである。多くの
スキー場はスノーボーダーお断わりの看板を掲げるようになった。入場
拒否とまではいかないまでも、スノーボーダーたちはスキー場のすみに
追いやられたのである。
 スノーボードの滑り方を教える教師もいない、スキー場のマナーも知
らない若者たちはスキー場の片隅で黙々と滑るしかなかったのである。
 当時、ほとんどのスキー場はゲレンデの一部分でのみスノーボーダー
に滑ることを許可していた。全面的に滑走不可のスキー場も多かったの
である。もともとスキーヤーのために設計したスキー場であれば致し方
ない面もあったかもしれないが、いきなりスノーボーダーを全面解放す
るスキー場は少なかったし、また、スキー場側にもスノーボーダーを受
け入れるためのノウハウが無かったのも確かだった。
 そこにやってきたのが「バブルの崩壊」であった。
 スキー客は減り、スキーメーカーの売り上げは激減した。スキー場は
競うようにスノーボーダーを受け入れはじめる。スキーヤーとスノーボ
ーダーの両者を受け入れることでスキー場は漸く例年並の入場者数を確
保することができた。といって、スキー場の設備やスクールが急に新し
くなるわけではなく、リフト代さえ払えばOKといった安易な入場許可で
あった。
 そうした状況で、事故が発生してくるのは目に見えている。スノーボ
ーダーが事故にあいケガをする確率は、人口比でみてもスキーヤーの数
倍にも登るようになった。ケガの治療を担当する現場の医師からスノー
ボードの危険性について警告が発せられるようになる。スキー場管理者
も徐々にスノーボーダー対策に取り組まざるを得なくなった。